2015年12月25日

落書:『僕だけがノーリターン』その1

母さんの目玉焼きは、いつも絶妙だ。
黄身を箸で割っても、中身が流れ出さない。かといって火を通し過ぎてパサパサになってもいない。僕の好みの固さだ。
そして毎朝必ず、この固さだ。
その黄身をご飯と一緒に口に運ぶ。醤油とかソースとかかけなくて良い塩加減。正直うまい。
母さんをチラッと見る。僕のことをジッと見ている。変な緊張感を緩めるため、僕は「おいしい」って表情を作る。わざわざ。
母さんはそれを見て安堵の表情を浮かべる。お茶を淹れるためにキッチンに戻る母さんの背中。
どうにもし難い疲労感の中、僕はさっさと朝食を食べ終わる。ごちそうさま、と言いながら僕はまた考える。
あの目玉焼きを作るのに、母さんは何回「やり直し」たのだろうか、と。

出がけに母さんから傘を持たされた。朝は晴れているけど、夕方から大雨に「なった」から、と。
でも僕は折り畳みを持っているからいい、と返事する。折り畳みじゃダメなくらい「降ってた」よ、としつこく持たされる。
母さんがそう言うなら間違いはないから、素直に傘を持って家を出る。
確かに道行く人みんな傘を持っている。当たり前だ。夕方に雨は降るのだから。それは事実なのだから。みんなそれを知っているのだから。
また僕だけだ。みんなが知っていることを知らない。
駅に向かいながら、携帯を取り出し、SNSを渡り歩いて「今日の出来事(ニュース)」をチェックする。いくつか話題になりそうなことを頭に入れる。今晩のドラマの展開とか。
毎日同じだ、と毎日思う。毎日は繰り返しでしかない。
もしかすると自分は恵まれているのかもしれない、と思うのはこういうときだ。
目玉焼きの焼き加減を失敗しただけで。夕立の日に傘を持たなかっただけで。こんな繰り返しの日々を何度も何度も「繰り返し」て「やり直し」ている彼らは、果たして気が狂わないのだろうか、と。だったら「やり直し」のできない僕だけが正常なんじゃないか、と。
まあでもやっぱり「できない」のは僕の方で、それは変わらないんだ。ただの自己憐憫。吐き棄てるように頭から追い出す。
そんな詮無いことを考えながら歩いていたら、ちょっとゆっくり歩き過ぎたようだ。携帯をポケットにしまって、少し急ぐ。
あと10分くらいで人身事故で電車が止まると、隣のクラスの奴がTwitterにポストしていた。
みんなと違って遅刻しても、僕には「やり直し」できない。遅刻などしたら、それがバレてしまう。
かと言って「やり直し」ができるやつが必死にダッシュするわけもないので、僕は急いでいることを気付かれないようなスピードで駅へ急ぐ。

posted by 淺越岳人 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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